2002年10月22日

    第14回アジア競技大会2002釜山

      感 動 と 挑 戦

 
 

               社団法人日本ボディビル連盟
2002アジア競技大会ボディビルチーム監督
審 査 委 員 会 副 委 員 長
 中 尾 尚 志

 日本選手団の一員として開会式の列の中にいる自分を、あたかも傍観者のように見ているもう一人の自分がいた。
 今までは、限られたスポーツエリート達の祭典としてしか映っていなかったオリンピックやアジア大会の最大のセレモニーである開会式に、自分自身参加している驚きを胸に秘めながらトラックを一周したのである。 行進が終わり選手達の顔を見渡すと、どの面持ちにも今までとは違うものが感じられ、まるで出陣を控えた武将達のようであった。
 開会式の翌日はまったくのフリーで、選手達もトレーニングや買出しで時間を費やした。 ここで、我々の宿泊している日本チーム棟の説明をしておこう。 101と102のナンバーが付いている日本チーム棟の斜め前が、スポーツセンターで自由にトレーニングが出来、また、真後ろはレストランで24時間自由に利用出来る。 ビルダーにとってトレーニングと食の施設が充分であればこれ以上何も言うことはない。 とは云っても、この重大な二点も最初から万全であったわけではないのである。
 翌日になり日付も10月となり、1日はジャッジズミーティングとチームマネージャーミーティングが行われた。 どちらのミーティングでも、ドーピングとジャッジングについて話し合われた。 その他では、カラーリングやオイリング、新しく規定されたポージングトランクスのこと等が議題にのぼった。
 10月2日はウェイインの日であり、いよいよ競技会らしくなってきたと思っていたところ、提出済みドーピング証明書の写しに不備があると指摘され、思いがけずつまずきかけたのであったが、これも後で誤解とわかり事なきを得た。 選手村に入るまで体重オーバーは廣田・谷野の両選手、それ以外の6選手はすべて順調。
 ところで、谷野選手は1kg少々なので特に問題ないが、廣田選手の場合は3kg以上オーバーしているとのこと、少し心配である。 ところが、廣田選手の体重オーバーはよくあることで、いつもきちんと帳尻を合わせるので、選手仲間では廣田マジックと呼んでいるらしい。 8選手が全員計量をパスし、最初のステップを通過。 この日に合わせて選手村の視察に見えた玉利団長と政枝審判も全員順調を目の当たりにして一安心といった様子であった。
 10月3日、いよいよ今日からプレジャッジが開始する。 今回は、今までのアジア選手権と競技方式が違い、プレジャッジもファイナルも二日に分けて行われたのである。 今日3日は60kg、70kg、80kg、90kgのプレジャッジが行われる予定で、日本チームからは60kgに過去最高の仕上がりの津田選手。 70kgには国際舞台で思わぬ力を発揮する廣田と筋密度を一段と増した合戸の2選手。 80kgには昨年度のアジア選手権で優勝し、その上モストインプルーブド賞まで獲得した山岸選手と小沼選手を破って代表の座を勝ち取った相川の2選手が出場した。 プレジャッジに先がけて2日間のポージング練習をして望んだ日本チームであったが、惜しくも津田選手だけが決勝に残ることはできなかった。 60kgクラスは、最初に行われたこともあり比較審査が極端に少なく、仕上がりの良さをアピールしたくてもそのチャンスに恵まれなかったと云うのが実情である。 70kgクラスは前半が合戸選手、後半が廣田選手と比較審査で呼ばれる回数が増えていった。 このクラスには韓国の顔とも言えるハン・ドンキ選手が出場していて、下半身こそ細く見えるが非常に綺麗な仕上がりで、日本人選手の前に立ちはだかっていた。 プレジャッジ終了時の感触は、合戸選手かハン・ドンキ選手かといったところであったが、後半の勢いでは廣田選手がどこまで評価されているのか興味津々である。 クラスが変わり80kgは、前半かなりの存在感をみせて山岸選手がベスト3にも入る勢いで飛ばした。 一方相川選手は、廣田選手同様後半になって続け様に指名されるようになり、このクラスも混沌としてきた。 ところで、どうしてもベトナムのリー・ドク選手が気にかかる。 控え室でみた印象では一階級落としたせいかかなり細身に見えたが、ポーズをとれば一味違う。 このクラスはやはりリー・ドク選手を中心に展開していきそうであった。
 10月4日は65kg、75kg、85kg、90kg超の4クラスのプレジャッジが行われた。 日本チームからは75kgに国際舞台で実績を持つ谷野選手、そして日本チャンピオンの田代選手が出場したのである。 ところが、始まって見ると呼ばれるのは谷野選手ばかりで田代選手に指名するジャッジがいないのである。 8名のジャッジが一通りの比較審査を終え二順目になってやっと田代選手に声がかかるようになった。 ポーズをとればこっちのもの。 顔も体も迫力でジャッジをも圧倒していったのである。
  ここで、少し話題を変えて国際舞台ではいかに第一印象で目立たなくてはならないかについて話しておこう。 それは、正面のリラックスポーズでメリハリ感がなくてはならないと云うことである。 そして、次に移った二番目にとるフロントダブルバイセプスでも同じである。 この二つの見せ場でともに今ひとつアピール出来なかったのが津田選手と田代選手であった。 両選手ともポーズをとれば自分の良さを表現することが上手なので今後の課題にしてほしい。
  85kgクラスは、日本チームのしんがりをつとめる井上選手の出場となるが、多分最も長身で細身に見えるだろうとの予想をしていた。 控え室で整列し出番を待つ選手達を見渡して井上選手の仕上がりの良さがそんな心配をいっきにふき消してくれ、審査が始まってからもどんどん評価を上げていったのである。
 二日間のプレジャッジが終了し、手ごたえのあったものもそうでないものも一流選手なら充分解っているはずである。 後は選手達の自覚にまかせて健闘を祈るのみである。
 いつものアジアボディビル選手権ならファイナルではいろんなセレモニーがつきものである。 しかし今大会はアジア競技大会であり、国別入場行進もすでに済ませているし、民族的なアトラクションもなく実に競技会らしくシンプルに進められた。
 プレジャッジ一日目と同じように、決勝に残った廣田・合戸両選手の70kgクラスと山岸・相川両選手が残った80kgの2クラスのファイナルが行われた。 70kgクラスでは確かに合戸選手の方が比較される回数が多かったが、結果的には廣田選手が第2位で合戸選手が第3位となり、ボディビル競技で初めて日章旗が揚がったのである。 真中に日の丸が揚がってほしかったのが正直な気持ちであるが、一生懸命がんばった選手のことを思うと両端を日の丸で固めた表彰式もまた良いものである。 やはり優勝は韓国のハン・ドンキであったが、国の威信を一身に受けて勝利した表情と二つの日の丸に開会式同様こころから感動をおぼえた。 一方、80kgクラスは明暗を分ける結果となり、山岸選手が何回も比較されるのに対して相川選手へのコールが一度もなく、その結果山岸選手が第4位、相川選手が第5位となった。 コールされる回数が、そのまま結果に反映するとは限らないことが判明したのである。すべて終了した前半の選手達は、晴れ晴れした表情で摂る食事にも少し変化がみられたが、あと一日を残している選手達は、最後の気力を振り絞って明日に望む様子が窺い知れた。 なかでも井上選手は、選手村に滞在中あまり食べ物らしいものはたべていない様子で、ポーズ練習の時にもめまいを起こすような状態であった。
 日が替わりいよいよ本当の意味でのファイナルとなった。 本日出場するのは75kgクラスに谷野・田代の両選手、そして85kgに井上選手である。 75kgクラスのファイナルは、谷野選手への集中的なコールで始まり優勝も夢ではないように興奮させられたが、結果的には谷野選手の第2位が確定し、田代選手も後半挽回し第5位となった。 昨日の70kgクラスの優勝者に送った拍手がすべて納得したものとは云えないが、このクラスの優勝者に心より祝福する気になれなかったのは私一人ではないはずである。 国際大会にはいろんな要素がふくまれているが、選手達は皆一生懸命がんばっているのである。 選手をたたえる表彰式が、すべての人の胸に熱い感動を与えることができればアジア競技大会の本当の姿がみえるのだが。
  我々日本チームにとって永い10日間が終りを告げようとしている。 側面より我々を支えてくださった玉利団長には心より御礼申し上げます。 また、この大会へ日本中から寄せられた暖かいサポートにも感謝申し上げます。 チーム内にあっては、選手の面倒を全面的に見ていただいた朝生コーチ、煩わしい事務的な仕事を一身に処理していただいた増渕総務、共に日本チームにとってかけがえのない人材といえましょう。 この場を借りましてご苦労様、お疲れ様と言わせて頂きたい。 そして、選手の皆様方には心よりありがとうと。